きらいなもの。

責任感のない人。時間を守らない人。不まじめな人。できるのに、やらない人。
少し考えるだけでいくつもいくつも出てきて、指折り数えていたらあっという間に指が足りなくなる。

大事なのは、たくさん出てくる嫌いなものは、私の許せないものではないということ。けれどその欠点が竹中先輩に全部当てはまるから、私は今、少しだけ困っている。

責任感がなくて時間を守らなくて、委員会の仕事を全然まじめにやらなくて、やればできるはずなのにやらなくて。委員会とは関係のない雑誌を眺める横顔が大人びていて、放課後の、傾いた日差しに照らされてやわらかな髪が透けて。そういうところを、前より近くで見るようになって、そのたびに胸がつまるような気持ちになって。私は毎日せわしない。
嬉しかったり戸惑ったりドキドキしたり、色々と心配してみたりする。
先輩が前に付き合っていた……というか、遊んでいたというか、そんな女の人がやって来て厄介なことになったら嫌だな、とか。幸いにもそんなことは一度もなくて、どころか先輩の周りには女の人の影が一つも見えなくて。女の人にだらしないのをやめたっていう言葉に真実味が増してきて。

だから、言ってもいいかな、と思ったのだけれど。

明らかに嫌いなタイプの人と付き合い始めたと言ったら、面倒なことになるかもしれない。そもそも興味がないかもしれない。幼馴染の私が誰と付き合いだしたか、なんて話。
だって目の前の人には生まれてこのかた浮いた話が一つもないのだ。女の人にだらしない、と噂のあった竹中先輩とは正反対に。この人に近づく女の人を見たことがない。
幼馴染の、私以外に。

「元就お兄ちゃんは、彼女とか、つくらないの?」
「要らぬ」

――やっぱりね。
向かいに座っている元就お兄ちゃんはいつもと同じく簡潔な答えを返して、私の質問はまるでなかったかのように手元のハートを小さなスプーンで崩す。栗の練りこんである餡子で作られた可愛らしいハート型。その隣に白玉、たくさん。栗の入ったバニラアイスには練乳がかかっていて、その下のみつ豆と寒天は甘いシロップに浸っている。

今月の新作、栗あんみつ。に、無表情で黙々と取り組む男子高校生。
それが元就お兄ちゃん。

家が近所の、幼馴染で、私の人生ではお父さんの次に仲のいい男の人だ。さすがに外では「元就くん」と呼ぶけれど、家の近くの甘味屋さんで、毎月のおなじみになっている新作チェックをしているときは、家にいるときと同じふうに呼ぶ。お兄ちゃん。甘いものが大好きで、特にお餅に目がなくて、お餅よりもお日さまが大好きで、晴れた日には日光浴をする姿がよく見られる。新作が出ればどのお店にも必ず和菓子を買いに来る。将来はお日さまを研究する化学者になるのだと息巻いて、学校の偏差値を上げるのに一役買っている。

ひとことで言えば、変人。
ふたことで言えば、完璧主義の変人。

嫌いなものは責任感のない人。時間を守らない人。不まじめな人。できるのに、やらない人。つまり、竹中先輩のような人。といっても先輩は委員会には不まじめだけれど部活を頑張っているから、完璧に合わないタイプではないと思う。思いたい。
学校では友達の一人もいなくてみんなから遠巻きにされているお兄ちゃんだけれど、私にとっては家族みたいな人だから、竹中先輩と付き合っていると知られて嫌な顔をされたくはない。

そもそも、どうして幼馴染のお兄ちゃんに彼氏ができたことを報告しようか迷っているのかというと――

「お兄ちゃん、それ私のきなこ餅」
「手をつけぬなら奪われるが道理、餅とて貴様程度に構っている暇はあるまい」
「わけのわからないこと言わないで。ほしいって言えばあげるのに」
「餅を前に隙を見せるからだ」
「だから、ほしいって言えばあげるのに……」

人の話を聞かないのだ。聞いていても、歯牙にもかけない。古式ゆかしい口調で持論を展開する様は何とも、この人に彼女も友達もできない理由が分かるというものだ。興味のない人にはそもそも声すらかけないから、この状態でもかなり良いほうではあるのだけど。

「何かあったか」
「え、なにか、って」
「言いたいことがあるなら早う申せ。餅も食さず無為に時間を過ごすほど我は暇ではない」
「お兄ちゃん、口の周りにきなこついてるよ」
「……」

注意していても少しは残ってしまうのがきなこ。隠しても絶対に見破ってくるのが、元就お兄ちゃん。
目を伏せて、紙ナプキンできなこを拭き取る姿は、整った目鼻立ちもあいまって涼しげに見える。睫毛の影を落として暗い瞳が私を掠めて、何も言わないなら帰るぞ、と睨んだ。
机の上に置いた手をぎゅっと握って、私は軽く息を吸った。

「あ、あのね、彼氏ができたの!」

話すのは今しかない、と思ったら気負った声が出てしまった。うるさくならないように気をつけて、決して迷惑にならないくらい。なのに、たった一息で一言告げただけの私は頬がとてもあつくて、おでこのほうは冷たくて、ずっと一緒にいた元就お兄ちゃん相手にものすごく緊張していた。

お兄ちゃんはどう返すんだろう。
一秒にも満たない間。審判を待つ気持ちで構えていたら、冷たい声が振ってきた。

「誰ぞ」

泰然と腕を組み、顎を上げ、傲岸不遜に私を見おろす彼。返答次第によっては射殺すことも辞さないという冷たい瞳で一瞥をくれる。
いちばん気に入らないときの、顔だった。

「委員会の、竹中先輩……」

肩を落として名前を告げる。
かえって今言ってよかったのかもしれない。引き伸ばすほど、どうして隠していたのかと不機嫌になったかもしれない。体感温度を下げる視線を見返していたら、元就お兄ちゃんはうっすらと目を細めた。

「よりにもよって竹中か」

見事に地雷だったのだと教えてくれる、淡々とした声だった。それは同じ学年なのだから知っているだろうし、素行のことが耳に届いていたとしてもおかしくはない。でも珍しい、人に興味を持たない元就お兄ちゃんが「よりにもよって」なんて言うのは。個人的な恨みでもあるのだろうか。

「お兄ちゃんは、竹中先輩が嫌いなの……?」

聞いてみた。

「言うまでもあるまい」

嫌いだった。
好き嫌い以前に他人のことは路傍の石ほどにも思っていない彼だから、ある意味ではこの答えも快挙な気がするけれど。祝福されるとは最初から思っていなかったけれど。
元就お兄ちゃんは、何か悪いことを考えているとき特有の冷たい瞳でこう呟いた。

「我のに手を出した罪、その身で償ってもらう……」
「何をいきなりボスみたいな台詞言っているのかな? というか、誰の何って?」
「決まっておろう。我のだ」
「初耳だよ!?」

思わず身を乗り出して、どういう意味かと尋ねてしまう。こんなことを聞いてくるとは貴様は虫以下か、みたいな目で見られた。

「貴様が言い出したのであろう、我の嫁になると」
「言ったけど、でもそれ三歳くらいの話だよね……?」

私が幼稚園に入るか入らないかくらいの頃だ。お日さま大好き元就お兄ちゃんは大人顔負けに色々なことを知っていて、憧れの存在だった。初恋で、何でも口に出す子どもだったからお嫁さんにしてほしいと言ってみた。お嫁さんになる、だったかもしれない。細かいことはよく覚えていない。

「しかもお兄ちゃん、断ったよね……?」
「当然だ。兄妹は結婚できぬ、馬鹿め」

あの頃と寸分違わぬ口調で再現してみせる元就お兄ちゃん。いたいけな幼児だった私はその言葉を本気で信じ、そうか元就お兄ちゃんは本当のお兄ちゃんだったんだ、にもお兄ちゃんがいたんだ! と思ったのだ。小学校に入る頃にはさすがに理解したものの、もしかして彼にとっては、今でも私は可愛い妹分なのだろうか。

「竹中先輩、意外といい人だよ。委員会こられなかったときは謝りにきてくれるし」
「我が奴の人柄を気にかける必要があるか?」
「いいところもあるから、心配しないでほしいなって思ったんだけど」

可愛い妹分ならばこちらの意見を汲み取ってくれることもあるかもしれない。淡い期待を抱いて、微笑みながらフォローをしてみた。彼は表情ひとつ変えなかった。

「我のものを奪った時点で『いいところ』など消え去ったわ」
「ものって言った! ものって言った今ー!」
「しかし竹中、合法的に制裁を加えるには厄介な相手……」
「お、お兄ちゃん話聞いて」
など所詮捨て駒よ」
「あれ、私捨て駒?」
「冗談ぞ」
「どこから……?」

無表情のまま嘲るように淡々と話す元就お兄ちゃんは、具体的に何を考えているのかさっぱり分からない。とりあえず、私の気持ちなんて最初から関係なかったのだということは分かった。私が元就お兄ちゃんの幼馴染である限り、竹中先輩と付き合っていることは遅かれ早かれ知られただろうし、いずれはこうなったのだろう。まったく話を聞かないこの人をどうしたらいいか考えているうちに、さらに大きな爆弾が降ってきた。

「竹中……の相手をするにふさわしいか、我のこの目で直に見定めてやろう」
「えっ!? い、いいよ好きな人くらい自分で決められるよ……!」

ふさわしいとか、そういうことを町の甘味屋さんで傲然と言い放つ元就お兄ちゃんは、漫画の悪役みたいに浮いていた。私は若干引きつつも、阻止するために頑張ってみる。先輩に迷惑がかかるのは嫌だ。身内同士のいざこざを持ち込むなんて、そんなの絶対に色々とよくない。

「貴様の意見など関係ない。我がそう決めたのだ」
「この場合は私の意見が一番大事だよ!」
「知ったことではない」

私も引かずに応戦するのだけど、一度決めたら必ずやり遂げるのが彼の信条。何を言ってもばっさり切り捨てられてしまう。いつの間にかテーブルの隅に置かれたコップの、中に入った氷はすっかり溶けていて。膨れ面の私を前にさも面倒くさそうな様子の元就お兄ちゃんに、何だか胸の奥がむかむかとしてくる。

「そんなんだから友達できないんだよ」
「フン、友など必要ない。無論貴様も友ではない」
「何なの、妹?」
「左様。家族だ」

透明なコップを長い指で持って、ぬるい水を少し飲む彼は、黙っていればとても綺麗なのに。
暴走しなければ、好かれていることを喜べるのに。
何だか面倒くさいなあ、と、思ってはいけないことを思いながら、竹中先輩に何をどう言おうかと考えた。



元就お兄ちゃんの朝。
まず晴れていたら日光浴。日の出とともに目を覚まし、両腕を広げて光を仰ぎ、おはようございます。のちに朝食。身支度を整えて、朝練へ向かう。吹奏楽部の指揮者だから。

いつもと違うのは、今日は隣に私が引っ張られていること。

普段は外であまり一緒にいないから、通学中の生徒たちが無遠慮な視線を向けてくる。だってあの毛利元就だ。何を考えているのか分からない、孤高の日輪好きという名誉なのか不名誉なのか分からない、でも確実に変人めいた称号を手にしている、あの毛利元就だ。どんな悪評が広がっているのか、彼が通ると道を空ける人までいる。ひっ、と喉のひきつる声まで聞こえる。「元就様……」と怯え掠れた声もある。

……一体……。

年上の幼馴染と登校しただけで、私が昨日まで積み上げてきた平穏な学校生活が崩れ去っていくのを感じた。朝練へ向かう道すがら、もっと遅い時間よりも確実に人は少ないのに、この有様。私の周囲は果たしてこんな世界観だったろうかと、悪い夢でも見ているような気持ちで歩いていたら、会ってしまった。

細身に見えて意外と広い背中。
ふわふわの髪を乗せる、形のいい頭。

反射的に、隣の袖を引いてしまった。両手で。腕を掴まれて歩みを止めた元就お兄ちゃんは、私に対して情のひとかけらもない目を向けた。そして、細い腕からは想像もつかない力で、ぐいぐいと私を引っ張って進んでいってしまう。

「竹中」

先輩が振り返った。朝のまだ白い太陽を受けて、やわらかな髪が揺れた。それが綺麗で少し見とれた。現実逃避だった。今ここで私が何かをしたら火に油を注ぐだけだと、今まで幼馴染として過ごした経験から知っていた。どうか先輩が変な誤解をしませんように。昨日送ったメールの通りに、変だけどただの幼馴染だと思ってくれますように。

「おはよう。元就君、さん。珍しいね、二人で来るのは」

先輩は何も知らないように、……何か知っているように、なごやかに挨拶をして。

「それで僕に何の用かな、元就君?」

何だか裏がありそうに目元を緩めた。
私ではなく隣の彼にまっさきに声をかけたから、やっぱりこの二人には何かあるのかもしれない。緊張といたたまれなさで胸と胃がドキドキして、落ち着くためにこっそりと深呼吸をした。

「さしたる用でもないが。竹中、賭けに乗る気はないか」
「珍しいね、君がそんな言い方をするなんて。うん、いいよ。彼女、困っているようだから」

動揺したそぶりもない先輩に、泣きたいような、謝りたいような気持ちになった。厄介事がいきなりやって来ても逃げようとせずに、私のことを考えてくれている。
それから先輩は私のほうを見ないで元就お兄ちゃんと色々話していて、向き合っている相手から目を逸らさなくて、珍しくまじめにしていた。賭けに負けたら私と別れる、なんて冗談みたいな話を、まじめにしていた。

そう、冗談みたいだった。

「来月の文化祭の件だが」

学生らしいなごやかな単語がまず出てきて。

「元就君のクラスは確か執事喫茶だったね。君、接客なんてできるのかい」
「我にできぬことなどない。客など所詮捨て駒よ」
「特殊な趣味の客が来そうな発言だね」

元就お兄ちゃんと執事喫茶、なんてコントのような組み合わせを耳にして。
というか初耳だ。ここ数年のメイドや執事のブームは固定化してしまったようで、毎年どのクラスが模擬店でコスプレ喫茶の座におさまるのか注目されるところだけど。執事のお兄ちゃん。想像がつかない。むしろ竹中先輩のほうが似合う、ような、

「貴様のクラスも模擬店を開くだろう。その売り上げで我に勝つのが条件だ」
「うん……賭けというか直球の勝負だね。受けて立つよ」

受けて立つの!?
白い髪に黒い服で物柔らかにおもてなしをする先輩をちょっと考えている間に、お祭り勝負が決まってしまった。いいのだろうか。そんなに簡単に、勝つと負けるとか。
竹中先輩のクラスが何のお店を開くのだったろう。思い出せないでいるうちに話はまとまっていて、二人は不敵な視線を向け合っていた。

「遊びに来てね、さん」
「え、……はいっ!」

竹中先輩は負ける気はないよと笑って、いきなり現れた元就お兄ちゃんの要求に、最後まで一切口を出さなかった。それで、朝練があるからと行ってしまった。私にやさしく手を振って、小さく礼を返したら穏やかに笑ってくれて。慌てたところのひとつもない、いつもの足取りだった。

でも私の心は嬉しさ半分、戸惑い半分だった。
自分も朝練があるからと校舎裏の音楽棟目指して歩き出す元就お兄ちゃんを少し追いかけて、。

「……元就くん、文化祭結構楽しみなんだね……? クラスの人と、仲良くできるといいね」
「余計な世話ぞ。だが、……」

私には理解できない賭けの内容も、二人にしか分からない何かがあるのだろうと勝手に結論付けて。珍しく言いよどんだ彼の続きを、待ってみる。
音楽棟まで早足で進んで、私は必至についていって、音楽棟間際で人がいなくなったタイミングで、彼は言った。私に目を合わせずに、ことさらぶっきらぼうに。

「その呼び方は面妖ぞ。外でも兄と呼ぶがいい」
「……元就お兄ちゃんの照れるポイントが全然分からない!」
「照れではない」
「あっ、鳥肌!」

分かったのは、私たち幼馴染の間に、恋愛感情はひとかけらも存在しないということだけだった。





*****前回のお話から何ヶ月たっているか――考えると永遠に宇宙空間をさまよいたくなるので――そのうちはねたは考えるのをやめた。かわりに焼き土下座をした。