別れたくない、なんて言って。

悲劇のヒロインを気取るようには、私はできていなかったみたいだ。
はじめてできた彼氏。委員会の竹中先輩。彼は不まじめで、嘘つきで、てきとうで、女の人にだらしなくて、でも。やさしくて、私のために一生懸命になってくれるところだってあったのだ。
それは読んでいるフランス語の本について教えてくれたり、遊んでいた女の人とのかかわりを切ったり、
意にそわぬ勝負を受けてくれたり。
そんな形で。
私と、私との関係を守ろうとしてくれた。

幼馴染の元就お兄ちゃんはそんな先輩を気に入らなかった。だから文化祭での接客勝負を持ちかけて、負けたら私と別れるようにと条件をつけた。そして鉄面皮の元就お兄ちゃんらしからぬ接客をして、私は風邪をひいていて知らない間に勝負が終わって、先輩が負けたと聞いても。

私は私にできることをするだけだ。
だってこの出来事は私が中心で、たとえ私のためじゃなくたって私をめぐる勝負だったわけで、それなのに寝て起きたらすべて終わっていました、なんてあんまりじゃないか。
あまりにも、私が情けないままじゃないか。

「君も案外、負けず嫌いだったんだね」
「元就おにいちゃんと一緒に育ったんです」

そう言いながら竹中先輩は笑って、私の手を離さなかった。冷たい手。だけど私の目を見て、それからゆっくりと目を伏せて。体の中から重いものを吐き出すように、薄くため息をついた。
その息に乗せて、よかった、とつぶやくのが聞こえた。
先輩はきっと私に聞かせる気がなくて、それでもぽろっと出てしまったような――そんな、ささやかな。かすれた声だった。


「元就おにいちゃん、私と勝負して!」

文化祭から一週間、お兄ちゃんは時の人になっていた。
吹奏楽部の練習が終わるタイミングで校門の前に立って、お兄ちゃんがくるのを待っていたら、やって来たのは予想に反して派手なパレードだった。

「元就様ー! 踏んでくだされー!」
「冷血かと思いきや物腰柔らかな執事のもてなし! 拙者感服いたしましたー!」
「キャーモトナリサンステキー」

……とか言う人々に囲まれて元就お兄ちゃんは平然と校庭を突っ切って来た。なんか嫌だ。世界観が乱れている気がする。そんな彼らはお兄ちゃんの「散れ、駒ども」という命令に歓声をあげてどこかへ去ってしまった。残るのは放課後の、普通に制服を着て普通に会話している、私たちに何の関心もなさそうな生徒たちの姿だった。なんだろうこれ、悪夢?

「して、何ぞ言ったか。我と勝負……などと、たわごとが聞こえた気がしたが」
「合っているよ。お兄ちゃん、私と勝負して!」
「何を馬鹿な」

思った通り彼は取り合わなかった。私の真剣なまなざしもスルーしてすたすた歩いていこうとする。目的地はいつもの甘味屋さんだ。私と一緒に期間限定のあんみつを試す約束。
速足で進むお兄ちゃんを追いかけて、私は彼の腕にぎゅっと抱きついた。恋人同士がするように。
彼は振り払おうとした。私たちは赤ちゃんの頃から一緒で、家族のように育ったけれど恋愛感情はなくて、だからこんなふうに分かりやすくくっつくこともなかった。

「勝負、して」
「何が言いたい」

氷のような目で見おろされる。私がくっついていても歩調は乱れない。誰に配慮するでもない普段通りの速足だ。

「私が今からすることに、家に帰るまでに音を上げたら、お兄ちゃんの負け。私の言うことを一つ聞いて」
「何だそれは。それを受けて我に何の得がある」
「私が負けたら、もう竹中先輩のことは考えない。考えないように、努力する」

私の決然とした言葉を聞いて、お兄ちゃんの瞳が揺らいだ。
文化祭の勝負に私が納得いっていないことはもちろんお兄ちゃんも承知している。文化祭の当日、竹中先輩が帰ってしまったあと、私はお兄ちゃんに挨拶もしに行かなかった。ひどいことを言ってしまう気がしたからだ。
それからずっと、竹中先輩とも会っていない。約束は約束だから。あの日確かに私たちはお別れをしたのだ。
だけど。

「私が勝ったら、私はもう一度、竹中先輩に告白する。それをお兄ちゃんに許してほしい」
「愚かな。それを聞いて、我がやすやすと負けてやると思うのか」
「思わないよ。だからこれは、私の独り言」

つんと前を向いて、腕を組んだまま、お兄ちゃんに合わせて歩いた。だてにずっと一緒にいたわけじゃない、このスピードには慣れている。
上を向いたら涼しい横顔。昔からずっと見てきた、すっきり通った鼻筋。日に焼けて痛んだ茶色の髪。奥二重の瞳がちらりと私を見た。それがいかにも、やってみろと言っているような挑戦的な視線だったので、胸の奥で闘志に火がつくのを感じた。

「ありがとう、お願いを聞いてくれて。そういうまじめなところ、大好きだよ」

本心からそう言った。
元就お兄ちゃんは私の方を全然見ずに、甘味屋さんに向けて一直線に進む。私のとるこの戦法がどこまで通じるかは分からないけれど。

「かぼちゃあんみつ、楽しみだね! 前から約束してたもんね。約束を破らないで私を一緒に連れて行ってくれるところも大好き」
「……」
「元就くんのお気に入りの場所に、いつも私を一緒にいさせてくれて、ありがとう」
「…………」

沈黙の量が増えた。
……まあ、私も、なんだろうなーこれ、とは思わないでもない。
私は元就お兄ちゃんの弱点を突くことにしたのである。それは私に、元就くん、と他人行儀かつ親しげに呼ばれるだけで鳥肌が立ってしまうという、まぎれもない弱味。妹に恋人あつかいされるということ。

「このあいだの執事喫茶だって、私、本当に行きたかったんだよ。写真でしか見れてないけど元就くんの執事姿かっこよかった。私も大事にされたい、ちゃんと接客されたい、って思っちゃった」
「………………」

私も寝込んでいる間に考えたのだ。人嫌いの元就お兄ちゃんが、ライバル心か何かを燃やして竹中先輩と堂々と勝負したこと。それは今までのお兄ちゃんには考えられないようなことだった。

「大事にされたい、っていうのはちょっと違うよね。元就くんはずっと、昔から私を隣にいさせてくれて、充分大事にしてくれてるって分かってる。でも」

私はにっこりとお兄ちゃんを――元就くん、を見上げる。

「元就くんが私のために、普段やらないようなこと、頑張ってやってくれたんだもん」

ぞわわわ、と鳥肌がたつのが分かった。私じゃなく、元就くんに。

「貴様のためなどではない」

あ、効いてる、気がする。
頬に熱をあつめて幸せに満ち足りた表情をつくって、甘い声で褒め殺そうとする私に、元就くんもたじろいでいる気がする。見た目はいつもと同じ鉄面皮だけれど。

甘味屋さんに着くまで私はそんなことを話し続けた。そして緑の暖簾をくぐり、引き戸を開けて、二人で窓際の席につく。小ぢんまりとした甘味屋の、よく日の当たるテーブル席。元就くんはいつもの無表情で、十月限定のかぼちゃあんみつを頼んだ。

元就くんは背筋をまっすぐ伸ばしてあんみつが届くのを待つ。湯気のたつ麦茶を時々飲みながら。窓の外の、夕日に染められた街並みを眺めていた。
彼の細い目がまぶしそうに太陽を、太陽の降る景色を見るのが、いつだって好きだった。
秋の夕日はきらきらとして、日が沈むのを惜しむ元就くんを照らしてあげていた。夏の光よりも強くないその色は、彼によく似合っていた。

「元就くんとこうやって何回一緒に来たかなあ」
「さてな。数え切れぬくらいであろう」
「うん、そうだね」

数え切れないくらい一緒にいた私たちには数えきれないくらいの思い出があって。

「私、元就くんのいいところ、世界で一番知ってる気がする」
のくせに生意気ぞ」

そう言って元就くんは私の前に置かれていた湯のみを奪った。あたたかい麦茶がほしかったのかもしれない。秋だし。ちょっと寒くなってきたし。

そうこうしているうちにあんみつがやって来た。ぽってり丸い、かぼちゃの色した白玉。かわいく盛り付けられたアイス。
いつもの通り、「いただきます」と二人で言って食べ始める。
でも私は手をつけないで、木のスプーンでアイスをすくう元就くんをにこにこと見つめた。こんなに無愛想なのに甘党で、しかもお餅に目がないなんて。かわいいなあ。

「元就くん、はい、あーん」
「…………」

案の定というか、感情の抜け落ちたような無表情で見られて、無視された。ちなみに私の前にあるのは普通のあんみつだ。ただし白玉増量、あずきアイス添え。もちろん元就くんの好きなものだ。

「食べてくれないの……?」
「貴様がどうしてもと言うなら、食べてやらんこともない」

上目づかいでスプーンを揺らしたら、とても嫌々、そう言ってくれた。お菓子は好きなのだ、私の態度が気に入らないだけで。

「どうしてもどうしても元就くんに食べてほしい! 元就くんに喜んでほしくて、元就くんの好きなの頼んだの」
「見下げ果てた捨て駒根性だな。我は阿るのは好かぬ」
「おもねる、とか難しい言葉を知っている元就くん好きだよ」
「くっ……」

彼の右手に力が入った。小さな木のスプーンがみしみし音を立てる。
こんなことをしているうちに、私のスプーンに乗ったあずきアイスは溶け崩れようとしている。白玉と一緒に乗せているから今にも落っこちてしまいそう。

「……元就くん、あーんして?」

こんなもったいない光景を見て黙っていられる彼ではない。冷たい態度に似合わず、ものを大切にする人なのだ。
眉間にぎゅっとしわを寄せたまま、元就くんはしぶしぶ顔を近づけてくれた。開いた口にスプーンを押し込む。普段は薄い頬を今はあんみつでいっぱいにして、元就くんはもぐもぐした。

「こんな無防備なかわいいところ、見られる女の子って私だけかな」
「……」

食べているときは口を開かない元就くんである。お行儀がいい。

「こんな元就くんが、私、大好きだから、ずっとこんなふうでいたいな」
「……」

最低三十回は噛む元就くんである。健康にいい。

「ずっと一緒に、仲良くしていられたらいいな」

「なあに」

食べ終わったようだ。夢みるように青写真をえがく私に元就くんは嫌そうな声で、長く付き合っている人なら分かる微妙な変化で、私の名前を呼んだ。

「ずっとこのまま、が貴様の望むものか」
「うん。元就くんとずっと一緒にいたい」
「恋人のようにか」

その問いには答えずに私はただ笑った。くちびるの端をつりあげて、やさしく目を細めた。

「同じ席や、景色や、食べ物を大事にする元就くん好きだよ。大好き。責任感が強くて、一度引き受けたことは絶対に投げ出さないで、嫌なことでも必ずベストを尽くすところが大好き。朝は早起きで、時間を守るところも大好き。幼稚園から一度も遅刻したことなかったね。まじめな元就くんが一緒にいてくれたから、私今までずっと幸せだった」
「それで?」
「だからこれからも幸せでいたいの」

私の言葉にこたえずに、元就くんはあんみつを口に運んだ。甘さひかえめのあんこと、かぼちゃのアイスを一緒に食べる。丸くてかわいい白玉を噛む。
ずっと見つめていたら「溶けるぞ、よいのか」と言われた。なので私も自分のあんみつを食べた。あずきのアイスは口の中で溶けて、それでも残るような重たい甘さで、私の中に落ちていった。

私は精いっぱいやった。
やさしい気持ちで元就お兄ちゃんのことを考えて、それを伝えるのは、私にとっての戦いだった。竹中先輩との仲をこわそうとしたお兄ちゃんを嫌いになりたくなくて、嫌いになれなくて、今までの楽しかったことをたくさん思い出した。これが報われなくても届かなくても私はベストを尽くしたのだ。

やがてあたたかいお茶のおかわりが運ばれてきて、私たちの前からあんみつの器がなくなった。
元就お兄ちゃんは麦茶の湯気を顔に受けながら目を伏せて、私に向けてこう言った。

「我は貴様と恋人にはなれぬ」
「うん」

最初からそんなことは思っていなかったので拍子抜けして、普通に頷いてしまった。

「だが情もある。悔しいことにな。兄としては、貴様の願いを叶えてやっても良い」
「……つまり、」
「どこへなりと行け、。貴様の馬鹿に付き合うてくれる奴が、まだおればの話だがな」

涼しい顔で嫌みを飛ばすお兄ちゃん。でもそんなこと私には関係なくて、ほっとして力が抜けたような、嬉しくて走り出したいような。混ぜこぜの気持ちで席から立てずにいる私にお兄ちゃんは「行け」と湯気の隙間から私を睨んだ。

「ありがとうお兄ちゃん、大好きだよ!」
「当然よ」

しれっと答えてお兄ちゃんはまたも私の麦茶を奪った。そんなもの、いくらでもあげたっていい。お兄ちゃんは偏屈で分からずやだけど、一度かわした約束は絶対に守ってくれるのだ。


竹中先輩にメールを打った。今から行ってもいいですか。
返事はすぐにやって来た。図書室にいるよ。


学校に戻ったらそろそろ下校時刻に届きそうな頃合いで、秋の早い夕暮れも終わりそうだった。校舎の中を進んでいるとき、東側の窓から一番星が見えるのに気がついた。
しんと静まりかえった第二図書室。ほとんど誰も利用しないそこには、今日も、誰もいなかった。戸をひらいたらカウンターのむこうにたったひとり、やる気なさそうにうつむいている先輩がいた。図書委員とは何の関係もない雑誌を持ちこんで読んでいる。けれど私の足音に顔を上げて、ふんわりと微笑むのだ。とても嬉しそうに。このカウンターの向こうで、私の手を握ってくれた日みたいに。

「珍しいですね、先輩がひとりで第二のほうの当番」
「今日当番だった男子に、さぼられてしまって」
「……いつもと逆ですね?」

首をかしげてそう言った。先輩が浮かべたのは何かを隠しているような、いたずらっぽい笑い方だったから。

「嘘だよ。先に帰ってもらったんだ」
「……そうですか」
「彼も委員会に熱心なようだったけれど、元就君の執事姿の写真を渡したらそれは喜んで――」
「あっすみません私それ聞きたくないです」

元就お兄ちゃんの持つ周りを惑わす力って何なんだろう。考えたくない。
明らかにうろたえた私に、先輩はくすくす笑った。それからふっと、顔から力を抜いて、「さんは今日は、中に入らないの」と聞いた。

立っていると、カウンターに座っている先輩の顔がよく見えた。視線が高いから普段は見られないものも見える。ふわふわの髪にある、つむじとか。
先輩の目をみないで立っている私に、「さん、」と彼はまたやさしく言った。
私は喉の奥で空気をひとつ飲み込んで言うのだ。

「告白を、しに来ました」

恥ずかしくて目がみられない。元就おにいちゃんの顔なら、くっついていても見上げることができたのに。低い位置にいる竹中先輩に視線を落とすことも、今の私には難しい。

「勝ったんだね」
「はい」
「……ありがとう」
「そん、な。お礼を言うのは、私のほうで」
さん」

顔をあげて。
そう言って立ちあがった先輩が、私の顔にかかっていた髪をよけた。先輩の長い指がするりと頬をかすめて、それは一瞬のことだったけれど。

「ありがとう。僕を好きになってくれて」

指先をつめたく感じた。

「僕は君を、好きになってよかった。……本当に、」

吐息に乗せてつぶやいて、先輩は私のおでこにおでこをつけた。こつん、と軽い音がした。おそるおそる見上げてみれば先輩はやわらかく笑っていて、それは安心したような、喜びをにじませたような。
なんだかとても、しあわせな笑い方で。
あつい頬と速い鼓動をおさえて私は、すこしだけ顔をかたむけた。先輩と私のくちびるが少し触れて、すぐに離れる。先輩はちょっとびっくりした顔になって、それから「おかえし」とひとつキスをした。

なんだかそういうことの全部がずるくて、でも私はやっぱり、うれしかった。
カウンター越しに先輩の手を握れることが、奇跡みたいにうれしかった。






***** 執事元就の写真で引き下がったまじめな図書委員の生徒は、「元就様の足置きになりたい」と言いました。竹中先輩は引きました。そしてはねたも、ここまで時間がかかった自分に引きました。本当にすみませんでした。嫁あいしてます。そして嫁の書いたパートがなぜこんなにときめくのか、なぜ先輩はこんなに素敵で女の子はこんなにかわいいのか、その秘密には何ひとつ迫れませんでした。〜fin〜 ご愛読、ありがとうございました!マタタビ、はねるの次回作にご期待ください!(アオリ文